福井市中央卸売市場 MARKET
中央卸売市場とは | ABOUT
生鮮食料品等の円滑な流通をはかり、地域に安定して供給する卸売の拠点。
中央卸売市場の機能 | FEATURE
市場流通の仕組み | FLOW
中央卸売市場の歴史 | HISTORY
福井市における食料品の流通は江戸時代から米町、魚町、京町(塩町)と称された地域で問屋形式に青果物関係、水産物関係、塩干・乾物関係の市場として機能をもちながら発展し、江戸時代から昭和の初期に至る長い年月商取引が行われてきた。その後、青果物の卸問屋は昭和16年の物資統制令にもとづく荷受配給の一元化として卸問屋を統合して福井県果実配給株式会社と福井そ采配給株式会社が設立された。統制の強化は続き、県一本化の荷受機関として、この2社に武生青果配給株式会社、敦賀青果株式会社及び小浜青果合資会社が参加して福井県青果物荷受組合が設立された。
一方、水産物の卸問屋は、大正7年に福井魚市株式会社として合併し、新会社が設立され、昭和16年の物資統制令によって卸売人、仲卸売人が主体となった福井県鮮魚類配給統制組合と嶺北の各市場が合併した福井県合同魚市場株式会社が、また、塩干類取扱業者が合同した福井県海産物配給統制組合が設立された。昭和18年統制の強化により、福井県鮮魚類配給統制組合と福井県合同魚市場株式会社は合併して福井県鮮魚介類配給株式会社を設立し、福井県海産物配給統制組合は県内の塩干業者と合併して県一本の福井県加工水産物配給統制組合を設立した。
その後、昭和19年10月には、この2社が合併して、福井県水産物配給株式会社を設立した。
終戦後進駐軍管理の下、再統制に入り青果物は県農業会、水産物は県水産業会が中心となり荷受配給を行ってきたが、昭和23年の統制解除により、各統制会社(組合)は解散し市内中心部の順化2丁目付近の店舗、道路上、公園を使用して、約150業者が市場活動を行った。昭和31年には福井市の都市計画的見地から、田原下町(現在田原1丁目)に敷地面積13,497m2を確保し、民営による福井食品卸売市場を移転開設し、本県における拠点市場として急速に発展を遂げた。
昭和45年当時、青果部の卸売人10社、仲卸人50社、買出人1,159人、水産物部では生鮮卸売人5社、塩干卸売人19社、買出人345人で取引が行われ、物流及び価格形成上の重要な地位にあったが、取引高の増加による施設の狭隘や駐車場難による荷捌の渋滞あるいは施設の老朽化による衛生管理面上の不安、加えて市場周辺の急激な都市化の進展による交通渋滞に対処するために、新たな整備を余儀なくされるにいたった。
このため十分なる用地の確保、流通の近代化に対応できる施設の建設、卸売人を統合整理した大型取引機構の確立を行い、市民の食生活の安定に寄与するため昭和49年に卸売市場法に基づき福井市中央卸売市場が開設された。
福井中央魚市だからできること | ONLY ONE
福井県の水産物流通の要である責任を胸に安心・安全・新鮮な水産物と食文化の発信に努めます。
その日の朝に水揚げされた定置網漁の地物をセリにかける「近海今朝とれ市」(2番セリ)を開いており、中央卸売場の荷受会社では全国初となった市場休場日の開催も行っています。全国の消費地に当日配送が可能です(東京7時間、名古屋2時間、大阪2.5時間)。
開催期間:3月中旬~12月末頃(午前7時40分~)